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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

不動智 6
 昭和十六年に読売新聞社社長であった正力松太郎氏は、若い頃に世話にな
った後藤新平氏の恩義に報いるために、故人の出身地の岩手県水沢市に、
「後藤新平氏の人格を掲げて薫陶の源泉にする」ことを目的とする成人教育
の教育施設を寄付することを決意した。
 それは、柔剣道の練習や、婦女子の稽古事や、冠婚葬祭の儀式や、講義や
集会が出来る新構想の建物で、日本の何処にも前例がないものだった。
| 不動智 | 08:05 | comments(0) | - | pookmark |
不動智 5
 正力さんは読売新聞社主として有名であるが、そのほかにも、プロ野球の
父、民放テレビの父、原発の父等の呼び名があることは殆どの人が知ってい
る。しかし、公民館の父であり、「公民館」という呼び名の名付け親である
ことを知る人は殆どいないと思う。
 この「公民館」という呼び名は、第二次世界大戦の軍国主義華やかなりし
頃に、時世に迎合しない人格の薫陶を願って、断固として名付けた名称なの
である。
| 不動智 | 07:44 | comments(0) | - | pookmark |
不動智 4
 しかし、あの超多忙な正力さんが一自治公民館のための揮毫に応じるだろ
うかという疑問が残る。当時の富山二区の衆議院選挙は、松村謙三と正力松
太郎の双璧を選出することが選挙民の誇りのような雰囲気があり、数十票な
どは問題にならないだろうという勘繰りが出てくるのである。
 私はこの疑問に対して正力さんが進んで快諾したと推理している。それに
は、大きな根拠がある。
| 不動智 | 08:01 | comments(0) | - | pookmark |
不動智 3
 正力さんは、昭和三十年に高岡市を中心とする富山二区から衆議院議員に
立候補して初当選、昭和三十二年七月に第一次岸内閣の国務大臣(国家公安
委員長、科学技術庁長官)に就任された。
 あわら町公民館は、丁度、この年に新築落成したことは、初代公民館長の
就任の日付けが昭和三十二年であることでわかる。このことから、昭和三十
二年にあわら町の誰かが公民館開設記念に、「箴言」の揮竜を選挙事務所に
お願いして、正力さんが慣れない揮毫をしたのではないかと想像される。
| 不動智 | 10:14 | comments(0) | - | pookmark |
不動智 2
「この額はどんな経緯で何時頃かけられたのだろうか?」「不動智とはどん
な意味だろうか?」「不動の信念ならわかるが、不動智とは新語だろうか?」
 足を使って町の古老に尋ね歩けばわかるかもしれないが、正力さんの人物
像を思い浮べて、頭を使って勝手に推理するのも楽しいものである。以下は
私の推理である。
| 不動智 | 08:36 | comments(0) | - | pookmark |
不動智 1
 (富山県高岡市)あわら町公民館の和室に、「不動智・国務大臣・正力松
太郎」と書かれた古い横長の額が懸かっている。
 上手な書き慣れた字とはお世辞にも言えない金釘流である。がき大将が書
き初めの宿題を片付けたような飾り気のない字を見て、「誰にでも子供っぽ
いところが、一つくらいは残るもんだ」と、いっぺんに安心した。安心した
ら別のことが気になりだした。
| 不動智 | 10:51 | comments(0) | - | pookmark |