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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

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硬骨のマスコミ人 4
 第二点は、国連による東南アジアヘの肥料と化学農薬導入による農業の近代化(緑の革命)は、昭和四十年に始まったのであるが、四十五年頃から五十年頃は最高潮に達して、世界は一丸になって仕上げに取り組んでいた。この事実を、日本のマスコミは熟知しているにもかかわらず、何故、国際的孤立の危険を犯してまでも、農薬批判の報道をするかということである(この疑問は現在も残っている)。
 当時の宝塚研究所は、スミチオンやネオピナミンなどの世界的大型殺虫剤を発明して全世界に輸出していたので、日本の化学農薬研究のメッカのような人気が出ていて、世界各国からの研修生や見学者の来訪で賑わっていた。それ故、このキャンペーンが本物ならば、新聞社やテレビ局が注目して、ワイドショー番組の取材のように、あちこちからマスコミが取材に来ると予想していた。
 予想を裏切るあまりの少なさにがっかりして、実情を本社に問い合わせたところ、新聞記者は大勢来るが、皆、話を聞いただけで充分と言って帰ってしまい、研究所見学希望者はいないという返事だった。

| 硬骨のマスコミ人  | 10:03 | comments(0) | - | pookmark |