2007.07.13 Friday
農薬の功績(食糧問題の解決) 4
稲作栽培の理想は、七月に稲を充分成長させて早く穂を出させて、太陽のエネルギー量が最高になる八月に澱粉の光合成に必要な太陽エネルギーを、完全利用することであった。この様な栽培が出来れば、米の増産が可能になると同時に、収穫が九月から十月初旬になるので、台風や長雨による減収も避けることが出来る。
収穫が一ヶ月遅い為に、収穫直前の稲の台風による倒伏や水没による減収も、可成大きかったのである。
田植えの時期を早くすることが出来れば、一石三鳥の増産になることは判っていたが、実現することは出来なかった。その理由は、春先に、つまぐろよこばい、ひめとびうんか、などの浮塵子(うんか)害虫が発生して、田植えしたばかりの苗を枯らすことのほかに、うんか類は、ウィルス病を伝染して稲を全滅させるからである。
このほかに、重要な問題点として、稲の茎中に潜り込んで食害する二化めいちゅうの被害と雑草の稗問題があった。
この様に、昭和二十年代前半の米の増産に関する技術課題は、全て病害虫の防除に集中していた。
当時は欧米先進国で、米の病害虫防除に関心を持っているところはなかった。それ故、日本人自らの手で解決する以外に道はなく、農林省は産業界の協力を求めて、戦後の窮乏のなかで、一丸となって取り組む態勢を組織した。
収穫が一ヶ月遅い為に、収穫直前の稲の台風による倒伏や水没による減収も、可成大きかったのである。
田植えの時期を早くすることが出来れば、一石三鳥の増産になることは判っていたが、実現することは出来なかった。その理由は、春先に、つまぐろよこばい、ひめとびうんか、などの浮塵子(うんか)害虫が発生して、田植えしたばかりの苗を枯らすことのほかに、うんか類は、ウィルス病を伝染して稲を全滅させるからである。
このほかに、重要な問題点として、稲の茎中に潜り込んで食害する二化めいちゅうの被害と雑草の稗問題があった。
この様に、昭和二十年代前半の米の増産に関する技術課題は、全て病害虫の防除に集中していた。
当時は欧米先進国で、米の病害虫防除に関心を持っているところはなかった。それ故、日本人自らの手で解決する以外に道はなく、農林省は産業界の協力を求めて、戦後の窮乏のなかで、一丸となって取り組む態勢を組織した。