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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

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発想の原点 3
 上にも下にも抵抗は全くなくなったが、そのかわり目が回るような忙しさになった。

 細かい経緯は省くが、工場長室に押し掛けて犬のように噛み付いてヒントを貰い、飛ぶ鳥を落とす副工場長の虎の威を借りて、へそ曲がりのように、誰もやらなかったことばかりをやっているうちに、三億売って一億赤字と言われた赤字工場が、二年後にトントンとなったのである。私はここで転勤になったので、あとの詳しいことは知らない。

 数年後に工場を訪ねて、担当係長から聞いたところでは、四年後には僅かながら黒字になった。国内だけで十三社あった競争相手は、四年後には一社になり、その後、世界での競争相手は、バイエル一社になって、競争相手というよりも、世界の供給を互いに助け含うような関係になったと言っていた。昭和五十年頃に、PASの時代は終わり、現場も天寿を全うするように消滅したと、その時の工場長から連絡があった。

 工場現場からの転勤先は、発足したばかりの標準化委員会事務局であった。三人の男子社員と二人の女子社員で、当時、日科技連が音頭をとって進めていた。社内標準化が住友化学でも始まったのである。この頃の思い出は、親分格の宗近道郎氏が「標準化の思い出」という本を出されて規格協会の文献賞を受賞したと、本人から三年ほど前に聞いた。

 私が、ここに転勤になった原因は、PASの現場に、アメリカの科学的管理法を導人したことが、人事部に注目されたことがあったように思う。
 現場に配属されて、最初に始めたことは作業員と一緒になって働いてみることだった。過去に大卒社員の誰もやらなかったことがわかったからである。誰もやらなかったことしかやらない、が当時の私の方針だった。前任者と比較されるのが厭だったのである。

 三交代勤務を一通りやって、いろいろなことが判った。
 最大のポイントは、作業員によって単位工程の所要時間が全く違うことであった。特に夜勤の濾過工程のバラツキが大きく、要領の悪い作業員が指示を守って五時間かかるところを、近道を見付けて一時間ですませ、後の四時間を熱睡している要領のいい作業員がいたのである。
 これがヒントになって、全作業員の操作法と時間を分析してみると、また、驚くべき事実が出てきた。皆、忙しそうに働いているのに、生産に直接関連する効率は三○パーセント位だったのである。
| 発想の原点 | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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