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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

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発想の原点 2
 発想が変わっているという噂のようなものが出て、そのまま研究所に居座る形になり、一度も論文を書いたことのない素人同然の私が、十数名の博士がいる農薬研究所の代表になってしまった。その後、関連会社の研究開発担当役員として出向して、九年間仕事をさせて貰ったが、これもまた楽しいものだった。もし、私が「はじめにロゴスありき」の言葉の意味を「言葉ありき」と解釈していたら、人生は全く違うものになっていたと思う。

 以下、再び、新入社員のころの思い出を振り返ってみる。私は、大学卒業の頃は駄目男だと本気で思っていた。それで、就職先としては、先輩が多い製薬会社を敬遠して、つぶしが利く化学工業会社を選んだ。
 その証拠になるかどうか解らないが、入社試験の願書の「入社後の希望職種」に工場現場技師と書いた。余程の変わり者と思われたのか、面接試験の時に土井正治社長から、工場を志願した理由について直々の質問を受けた。「雪国生まれの田舎者で、鈍くて研究員は自信がないが粘りに自信があると思うので工場を志願した」と、本気で答えた。

 何が気に入られたのか合格した。昭和二十七年のことである。朝鮮動乱終結後の大変な不景気で、住友化学でも大卒薬学系の採用数はたったの一名きりであった。
 入社後希望通り工場に配属された。工場長は兼任だったので、実質的には、後の、最高顧問の矢村秀雄氏が副工場長として管理されていた。
 二年ほど、副工場長直属になって、研究部へ派遣されたり、PBレポートの整理や中間物の分析実験をしているうちに、どこかの現場に配属されることになった。
 配属希望先を聞かれたが、返事は入社試験の時と同じで、「ゆきてのないところで結構です」「そんな返事をする奴がいるか」と言われて、工場で一番大きなグループで手の付けようのない赤字を出していた結核薬PASの製造現場にほうり込まれた。

 おまけに、副工場長直属にするから考えて黒字にして見ろ、係長は事務処理だけにするという命令が追いかけてきた。おまけに、一力月も経たないうちに、工場きっての腕利きの職長と二人の組長のなかの腕利きの一人も外してしまったのである。
| 発想の原点 | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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