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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

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発想の原点 1
 旧約聖書の「はじめにロゴスありき」のロゴスを「言葉」と訳したために、日本の学問はおかしな方向へ向かった。ロゴスの真の意味は、「言葉」とは、むしろ、反対の意味の「何が何だかわからない」「何でもいいから、やってみる」という意味である。この誤訳のために、日本人は学問の創造性を失っている。
 この主張が為されたのは、昭和三十年代だったと思うが、時期は忘れた。主張者は東大文学部教授で中近東言語学の最高権威であった。
 私は言語学的なことは判らないが、創造の場に長年身をおいた経験と観察を通じて、心からの共感をおぽえる。「何が何だか判らない、何でもいいからやってみる」の自然観こそ、創造の道へ人を導くものである。

 私は、友人の評によれぱ芸術家向きだそうで、理数課目は苦手である。地道に積み上げるような勉強をせずに、関門を通り抜ければよいというような学生時代を送った気持ちがあったので、強い劣等感を抱いて入社した。そして、自ら志願して赤字工場の現場で作業員として働くうちに作業の管理法に疑問を持った。その疑間を掘り下げているうちに、アメリカで発達していた科学的管理法の応用を思い付き、それまで手の付けようがないと考えられていた工場の赤字問題が解決した。異能力者のように見る人がいたが、「何でもいいからやってみよう」の気持ちで手を付けて、あとは事実に導かれただけなのである。

 この経験は、現場技術者として食っていけそうな自信を付けたが、それでも、学問に対する劣等感は全然消えなかった。
 入社十二年後に、やむをえぬ理由で研究員になった。応用研究所の開設が私の任務であって、研究員としての成果を期待しないからと引導を渡されての転勤であったが、私も、約二年間助手一名を貰って研究員生活を味わった。

 十二年の出遅れは大変なもので、逆立ちしても取り戻しようがないので、昔に帰って「何でもいいからやってみよう」の気持ちで、問題解決だけを目指して、自分の頭で解るレベルで仕事に手を付けたところ、それなりに成果もでて来て、一応、一人前の扱いを受けるようになった。短期間であったが、国内出願特許二十〜三十件、海外出願特許数件がとれた。全部、学生時代に読んだ本のうろおぽえをヒントにして、新しい問題の解決に応用出来ないか試してみたに過ぎない。
| 発想の原点 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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