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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

中国見聞記-1(文化大革命の頃)最終章
 その頃の中国は、文化大革命後の大躍進政策の失敗で食糧不足に陥り、徴生物農薬を自家生産する、いわゆる土法農業の追放と、安全性が著しく向上した合成農薬の導入に、起死回生の大方針で取り組んでいた。
 私が日中国交回復前にも拘わらず、中国に呼ばれて農薬製剤学の講義をしたのもその一環であった。
 しかし、このころから、日本の一部の有カマスコミが、猛烈な勢いで微生物農薬導入と反合成農薬のキャンペーンを始めた。どんな理由によるものか未だに不思議で仕方がない。後学のために是非情報公開をお願いしたいものである。

| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 09:39 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)18
 当時の日本の新聞はこの様な社会構造を全く報道しなかった。社会の中核をなす中年の男達が、暗裏の社会の中で絶望と無気力に包まれていたにも拘わらず、中国を活気に満ちた国のように報じていたのは不可解な行動だった。
 広州賓館のブロントには「農業を化学化せよ」の毛沢東のスローガンが、「自力更正」「人民のために服務せよ」等のスローガンと並んで掲額されていた。街のあちこちにもあった。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 08:59 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)17
 また、ある日、最近は中国共産党員の九○パーセントが女性で、幹部もほとんど女性であると教えてくれた。このことは、その頃に女性主体の密吉システムが組織されて、急進的で短絡的な促成の女性幹部が未端支配の大きな権力を握っているらしいことを示唆していた。
 女性特有のきめ細かい観察力と呵貴ない闘争心に期待して、女性対象の学習を推進して、フランス革命におけるジョセフ・フーシェを無数に作って、あらゆる末端にばらまき、蟻の這い出る隙間もない恐怖政治が行われたのが、文革後の粛清時代、及びその後に続いた四人組時代の実相であろう。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 09:28 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)16
 通訳は中国語でどう伝えたか分からないが、彼女は立ち上がって、「今日の講義は熱心にやっていただき感謝する。日中友好に役立つと思う」と全く見当違いの返答をした。この返答によって、彼女は中国共産党幹部であることがよく分かったのである。
 広州の街を歩くと赤い腕章をつけた男女が目に付いたが、腕章をつけていない急進的党員が監視の目を光らせていることを、それとなく教えてくれたのである。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 09:03 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)15
 受講生の中に一人だけ五十歳くらいの女牲がいた。私は、最初は気にもとめずに講義をしていたが、第一回の講義の終わり頃に、通訳があの女性に発言させるようにと手短に求めた。そこで、講義全体を通してのレベルに対する感想と、特に知りたいテーマについて質問し、その女性を指名して返答を求めた。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 08:14 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)14
 通訳は北京大学から派遣された比較的着い女性であったが、広い視野と多負的な考え方の持ち主で、私をかばう所があり、時々、文革後の中国を理解する上でのヒントを手短な日本語で小唆的に教えてくれた。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 08:07 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)13
 受講生は全部で十名ほどで、五十歳くらいの人が多く、風貌から推して大学教授ではないかと思う人もいたが、服装、持ち物は極端に貧しかった。あまりにも気の毒な感じなので、教室の外であったときには、最初、声を掛けるようにしたが、決まって周囲を気にしている感じで、近付くと迷惑そうなのでやめることにした。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 08:30 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)12
 講義は午前中で終わりだった。講義中に質間を求めても反応はなく、私の煙草好きを知ってか、請義の机の上に並べてあるいろいろと変わった煙草を吸えと勧める始宋だった。聞くところによると、講義終了後は毎日夜九時まで残って討論していたそうであるが、講義中はその素振りも見せなかった。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 08:42 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)11
 元気があるのは女と子供だけで、大人の男は暗くて元気が無く、特に中年以上は何も語ろうとしなかった。この傾向は、私の仕事の面からも感じとられた。
 この時の私の仕事は、中国の農業関係者に農薬製剤学の講義をすることであった。開講までに、受講生をそろえるという理由で三日間待たされたので、遠方から来た人もいたと思うが、全くの秘密主義で、受講生は徴笑するだけで終始無言、情報のとりようがなかった。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 10:05 | comments(0) | - | pookmark |
中国見聞記-1(文化大革命の頃)10
 私の興味は彼らとは逆の方向にあった。この仏の世界が、かくも見事に出現し、維持されている社会機構にあった。
 準国賓表すピンクのリボンを胸につけて、講義が終わった後は街へ出掛けて漢方薬の店を探して、漢方薬を調べながら、避妊薬を買いに来る男女の挙動を観察して、人民の士気を調べた。
| 中国見聞記-1(文化大革命の頃) | 08:00 | comments(0) | - | pookmark |