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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

旧制高等学校の頃 最終章
 今、思い返すと、旧制高等学校はものすごい全人教育をしていたと思う。一見、我々の世代は、就学、就職の節目ごとに、ひどい目に遭うばかりの世代に見えるが、この様に、時空を超えて精神的支柱となる教育を受けて、人生の節目を味わい深く過ごし、各国の若者達と心から語り合った過去を思い返すと、かえって、一番面白い人生を生きてきたようにも見えてくるのである。
| 旧制高等学校の頃 | 10:26 | comments(0) | - | pookmark |
旧制高等学校の頃 7 奥深い教育への考察
 このような出来事を振り返ると、国境を越えた本当の信頼関係は、寧ろ、宗教の相互埋解と共通の基盤の発見から生ずるように思う。
 私は、今日までの自分の意識の流れを振り返ると、旧制高校時代に聞いたアンテツの講義を、その時々に、反携修飾してきたに過ぎないような気がする。
 昭和二十三年頃に、「アンテツ」は本を出版された「絶対自力の哲学」という題名であった。アメリカに頼るばかりの他力本願では駄目だという主張で、後年の毛沢東の「自力更生」に似た考え方であった。紛失して久しいが、この本から受けた印象が私の仕事の進め方のバックボーンになった、と言っても良いくらいに強い影響を受けた。農薬応用研究部門の創設期に、フォーミュレーターとの提携を拒杏して、素人ばかりの幼稚園の状態から出発したのは、将来の自由独立を志向する「絶対自力の哲学」があったからである。
| 旧制高等学校の頃 | 08:01 | comments(0) | - | pookmark |
旧制高等学校の頃 6 奥深い教育への考察
 私が自然科学の最先端に身を置きながら、年と共に、宗教心に親しみや落ちつぎを感じて行くのは、このアンテツの講義を受けたことが関係していると思う。一般に、外国人と宗教を語ることはタブーとされているようであるが、私の場合は、中近東や東南アジアの研修生と宗教について語り、知識を交換する事は大きな楽しみであった。彼らも同じであったらしく、帰国後、上司に報告していた例があった。宝塚の研究所にいた昭和五十年頃に、突然、イスラム教国の政府高官がにこにこしながら居室に入って来て、百年の知己のように握手を求められたことがある。理由を尋ねると、研修生が私のことを「最高の紳士」と報吉していたのだそうである。「親鸞の教えは一神教で信心以外の虚飾を認めない。イスラム教も同じ。心が落ち着く最高の教えだ」と、何気なく話したことが、余程、嬉しかったらしく、「日本で一人だけ紳士に出会った」と帰国後に報告していたのだそうである。「このことが言いたくて顔を見に来た」という話だったが、高官本人も嬉しそうだった。数分の出会いであったが、二十年経っても楽しい思い出になっている。
| 旧制高等学校の頃 | 07:49 | comments(0) | - | pookmark |
旧制高等学校の頃 5 奥深い教育への考察
 第二学期のテーマは「科学と宗教」であった。アニミズム、トーテミズムの原始社会から、宗教と科学が分離独立する哲学的考察から始まって、延べ数十時間のアンテツの講義を聞くわけである。
 全部忘れてしまったが、当時、一応納得したことだけは覚えている。科学と宗教は相互に否定的関係にあるものでない、というのがアンテツの延々と続いた講義の結論であった。
 笠原と議論すると必ず負けたのであるが、相部屋にいて唯物論者にならなかったのは、マルクスが宗教は阿片なりと主張しているところが引っかかったのである。
 唯物論者は人間の心の問題を、あまりにも、単純に扱っていると思ったからであった。
 案の定、共産主義社会は人間の無欲化に失敗して、その為に、内部から崩壊した。
| 旧制高等学校の頃 | 13:20 | comments(0) | - | pookmark |
旧制高等学校の頃 4 奥深い教育への考察
 第一学期のテーマは「生物と無生物」であった。古代ギリシャ哲学の形相から始まって、カントやデカルトを経て、アンテツの学説まで、たっぷりと解説を聞いた。
 後年の私の専門が、農薬という「生と死の妙薬」の研究に係わるものだっただけに、受けた恩恵は大きい。
 主席研究員の頃は、日本の農薬反対違動が最高潮に達し、世界的にも模索の時代に入っていたので、欧米の研究所長の訪問を受けて、農薬研究管理に対する哲学的な話題をしかけられることが再々あったが、アンアツの講義のおかげで、戸惑うことは無かった。

| 旧制高等学校の頃 | 10:30 | comments(0) | - | pookmark |
旧制高等学校の頃 3 奥深い教育への考察
 この仕事を通じて、後の社会党中央委員の笠原昭男氏と友人になり、退寮後は、卒業まで、二人コンビで下宿を転々として歩いた。彼は、濫読するだけの私を、客観的観念論者と言って相手にもしていなかったが、私は、彼のお陰で、正統的な唯物論のエキスを知ったと思っている。この時に読んだ自然弁証法は、後年、研究管理者の立場から、部下の研究を激励する上で役に立ったように思う。
 二年生になると、哲学が必修科目になる。先生は「アンテツ」と呼ばれて、生徒から一目も一目も置かれていた安藤孝行教授であった。この先生の講義は特徴があった。一つのテーマを取り上げて、一学期間、一貫して、そのテーマに密着した哲学的考え方を、歴央的に講義するのである。私はこの講義の恩恵を最大限に受けた者の一人であると思っている。
| 旧制高等学校の頃 | 08:12 | comments(0) | - | pookmark |
旧制高等学校の頃 2 奥深い教育への考察
 私は運良く中学四年終了で合格して、旧制高校の寮生活に入ったのであるが、平均年齢で二歳以上若いために、今から思えば、いろいろと虚勢を張って無理をしていたようである。
 理科の一年生のくせに、その年にスタートした寮史編纂委員募集の合格基準が、作文コンテストであることを知って、訳の分からぬ作文を書いて立候捕、当選したのはいいが、戦時中、涸れ井戸の中に隠してあった資料を整理して、寮央を編纂する仕事をするためには、史観のようなものが必須であることを思い知らされて、半年間、四苦八苦したことが思い出される。
| 旧制高等学校の頃 | 08:07 | comments(0) | - | pookmark |
旧制高等学校の頃 1 奥深い教育への考察
 私は、昭和二十一年九月に、金沢市にあった旧制第四高等学校理科甲類に入学した。
 九月に入学したわけは、学生スト、校長追放など、いろいろな混乱があったからである。
 前年の敗戦によって、陸軍士官学校、海軍兵学校をはじめ、全ての軍関係の学校や、高等商船学校などが廃校になり、生徒は全員浪人になった。
 そこへ、さらに、若い将校の中にも、浪人になって受験生の仲間入りする者もいたので、この年の受験地獄は、質的に見て史上最高であったと思っている。

| 旧制高等学校の頃 | 08:43 | comments(0) | - | pookmark |