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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

硬骨のマスコミ人 最終章
 応接室に帰ると解説はもうよいということになり、個牲の強い作家のような研究者を管理することの難しさの問題に話題が行き、そのまま時間がなくなって辞去された。肝腎の農薬のキャンぺ−ン問題の話は、全く手付かずになり、少し後悔が残った。
 それから二カ月ほど経って、文芸春秋誌に「現代の魔女狩り」と題する特集記事が出て、農薬の報道に対する偏向の行き過ぎが論じられていた。
 日本にも朝日新聞やNHKの権威に付和雷同せず、新分野を勉強し、現場を検証して反論する硬骨のジャーナリストがいたのである。
 どこかに一人くらいは、真実を知ろうとじっと見ているジャーナリストがいるという安心感は、わけのわからぬ世論が渦巻いている時には、大きな心の支えになる。
 筆者は、後年田中氏が日本の言論界をリードする日が来ることを信じて期待していたが、一度、新聞紙上で筆禍問題の責任を負って左遷されたことを知って、最早これまでとがっかりした記憶がある。
 あれから十数年、引退して住む雪国の田舎で、再び新聞紙上で同氏が文芸春秋社会長として活躍されていることを知り、「天網恢恢疎にして漏らさず」、ほっとした次第である。


| 硬骨のマスコミ人  | 09:09 | comments(0) | - | pookmark |
硬骨のマスコミ人 5
 一般に、人は知っていることしか解らないものである。初めてのところで知らないことを聞いて、これを第三者に貴任を持って伝えることは、難中の難であることは、中途半端な語学力で海外旅行をすると身にしみてわかる。新聞記者達は、よく解らない術語の混じった言葉で、知らない科学思想の話を聞いて逃げ帰ったのであろう。
 研究所を取材した二名とは、某経済新聞社と文芸春秋の二社で、とくに、後者の取材を受けた時の記憶は今も鮮やかである。
 とある日の午後一時頃、来客の連絡で応接室に出たところ、一人の紳士がいて名刺を差し出した。文芸春秋編集長田中健五とあった。単身直々の取材に恐縮して、徹底的に説明しようと手順を考えていたところ、見学の後がいいという申し入れがあり、説明抜きでそのまま案内することになった。
 普通のテンポで二時間のコースであるが、説明を少し詳しくしたことと、熱心に観察されている様子だったので、偶から隅まで案内したために二時間以上になり、こちらも流石に疲れた。

| 硬骨のマスコミ人  | 07:44 | comments(0) | - | pookmark |
硬骨のマスコミ人 4
 第二点は、国連による東南アジアヘの肥料と化学農薬導入による農業の近代化(緑の革命)は、昭和四十年に始まったのであるが、四十五年頃から五十年頃は最高潮に達して、世界は一丸になって仕上げに取り組んでいた。この事実を、日本のマスコミは熟知しているにもかかわらず、何故、国際的孤立の危険を犯してまでも、農薬批判の報道をするかということである(この疑問は現在も残っている)。
 当時の宝塚研究所は、スミチオンやネオピナミンなどの世界的大型殺虫剤を発明して全世界に輸出していたので、日本の化学農薬研究のメッカのような人気が出ていて、世界各国からの研修生や見学者の来訪で賑わっていた。それ故、このキャンペーンが本物ならば、新聞社やテレビ局が注目して、ワイドショー番組の取材のように、あちこちからマスコミが取材に来ると予想していた。
 予想を裏切るあまりの少なさにがっかりして、実情を本社に問い合わせたところ、新聞記者は大勢来るが、皆、話を聞いただけで充分と言って帰ってしまい、研究所見学希望者はいないという返事だった。

| 硬骨のマスコミ人  | 10:03 | comments(0) | - | pookmark |
硬骨のマスコミ人 3
 第一点は、中国が微生物農薬農業(土法と中国で呼んでいる)を批判して、化学農薬への大転換を開始した、まさにその時に、日本で、微生物農薬礼賛のキャンペーンが始まった理由である。
 日中国交回復前の昭和四十五年に、筆者は広州に招かれて農薬製剤学の講義をしたのであるが、広州のホテルには「農業を化学化せよ」の毛沢東スローガンが貼られていた。あの文化大革命によって出現した暗黒社会を理想の国のように報道する朝日新聞が、何故、農薬については中国と反対の路線を熱烈支持するかといことである。
 また、当時の中国から日本への農薬製剤用助剤の輸入引合量は急上昇を続けて、世界消費量の三○パーセントになると推定されていた。この様な事実を知れば、中国の動きが解らぬ筈がないのに、何故、調べようともせずに化学農薬を敵視するかということである。
| 硬骨のマスコミ人  | 08:02 | comments(0) | - | pookmark |
硬骨のマスコミ人 2
 筆者は、宝塚市にある研究所でマスコミの取材を心待ちして、もしも取材に来れぱ、新農薬の探索から安全性の確認試験までのすべてを見せて、技術の進歩を解説するつもりでいた。そうすれば、殆どの記者に納得してもらえると考えていた。
 しかし、驚いたことに、連日あれほどすさまじいキャンペーンが展開されていたにもかかわらず、その頃に研究所まで足を運んで取材したジャーナリストは、たった二件の二名に過ぎなかったのである。
 当時、筆者は朝日新聞またはNHKの直接取材を特に待ち望んでいた。その理由としては、理解できぬ疑問点が二つあったからである。

| 硬骨のマスコミ人  | 11:13 | comments(0) | - | pookmark |
硬骨のマスコミ人 1
「千人指させば病なくして死す」この言葉は、昭和五十年頃に熾烈を極めた、朝日新聞、NHKを中心とするマスコミの農薬批判キャンペーンによって起こった主婦連を中心とする過激な攻撃の嵐のなかで、当時の福田農林省植物防疫課長が口にしていた無念の言葉である。
 筆者は、その頃住友化学農薬事業部主席研究員として、研究関係の統括責任者の仕事を担当していたので、あまりにも農薬の研究現場の現実を無視し、研究者の良心を蹂躙する偏向報道に対して、誤りを指摘して反撃すべきと考えたのであるが、本社サイドから止められた。
 雑音に振り回されて得るものはない、マスコミ対策は本社に任せて、本来の職務に専念せよ、直接取材があれば自由に応対せよ、という指示であった。
| 硬骨のマスコミ人  | 09:13 | - | - | pookmark |