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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

農薬の功績(食糧問題の解決)最終章 世界の食糧危機を救った農薬
 またメキシコでもロックフュラー財団が組織した研究所で、収量が飛耀的に増える小麦と、とうもろこしの新品種が発見された。

 国連はこの新品種の早期実用化に賭けた。問題点は近代的な化学肥料や農薬使用による稲の栽培管理が、文盲が多いアジアの諸国で出来るか、ということであったが、挙国一丸となって果敢に挑戦した。私はこの頃に、パキスタンを初めとして、各国の若い技術者に農薬製剤技術の指導をしていたのであるが、彼らの姿に、戦後間もない頃の日本の農業技術者を思い浮かぺていた。

 一九六五年から六九年にかけての、アジアにおける米と小麦の新品種の作付け面積は、二百エーカーから三千六百万エ−カーに増加した。この五年間の進歩は目覚ましいものがある。生産増加の最も際だった国は、パキスタンであった。フィリピンは輸入国から輸出国に変身した。インドは増加する人口を自分で養うみこみが付いたと言われる。セイロンも三○パーセントの増産になった。新品種と肥料と農薬の組み含わせによって、小麦の生産牲が十倍になったという報告もある。

 一九七○年代にはいると、緑の革命はさらに広がって中国も参加した。日中国交回復以前であったが、私も中国に呼ばれて農薬製剤学の講義を一週間したことがある。
 長くなったのでこのあたりで終わる事にするが、農薬の功績を改めて述べる必要はないとおもう。日本と世界の食糧危機を救った事実に勝る説明は無いからである。
| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 03:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 9
 昭和四十五年に、私はマニラ郊外にあるIRRI(国際稲作研究所)を訪ねた。「こんなに熱気と興奮に包まれた研究所が世の中にあるのだろうか」と、唖然としたことが印象として残っている。今にして思えば、彼らは「緑の革命」の主役としての使命感に燃えていたのであろう。

 ここで、レスターブラウンの著書を参考にして、「緑の革命」の概要を説明する。
 戦後の爆発的な人口増加による世界の穀物消費量の伸びは、生産性向上による増産量の二倍の比率であった。戦前は穀物輸出国であった開発途上国は輸入国に転じ、アメリカがギャップを埋めていたのであるが、一九八四年に限界に達すると予測されていた。

 一九六三年のソ連の穀物不足、中国の大躍進政策の失敗、インドの凶作などが続き、世界は、突如、深刻な穀物不足になり、人類存亡の危機が目の前にせまってきた。その時マニラで奇跡が起きた。

 一九六二年にロックフェフー財団とフォード財団が協力して設立した、マニラ郊外の、国際稲作研究所で、ミラクルライスとして知られる1R−8と名付けられた高収量品種が交配種から見いだされたのである。1R‐8は、水と肥料を管理して、農薬で病害虫から保護すれぱ、収量は倍増することが確認された。
| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 8
 この方法は、田植え時の水田土壌の表面に、PCPを散布してPCPの膜を作り、田植え後に発芽してくる稗の芽をPCPの膜に接触させて枯らすという巧妙な方法で、省力効果が高かったが、PCPは魚毒が強いために、大雨が降ると膜が壊されて、魚が死ぬという事故が多発した。

 このことから、魚毒がない稲と稗の選択牲除草剤の産官の協同研究が進められて、優れた除草剤が多数開発されて、それ以来、水田の除草に労力が殆どいらなくなった。
 水田用除草剤の聞発によって農村の労働力が大幅にあまり、都市へ移動して、昭和四十年頃から始まった高度成長の原動力になった。

 昭和二十年代前半の農業人日ば、全人口の五○パーセント以上を占めていたが、昭和四十年頃に半減し、さらに減少を続けて、現在は数パーセント程度になった。一町歩当たりの除草所要時間は昭和二十四年の五百六時間に対して、現在は三十九時間といわれる。
 昭和四十五年頃になると、生産者側のニーズに注目した改良研究は、ほぽ山を越えて、研究の重点は、次第に消費者側のニーズに注目した環境問題や慢性毒性問題の改善に重点を移していった。
 昭和五十年頃から、更に洗練された新農薬が登場し始めて、再び目覚ましい技術革新がスタートするのであるが、本文のテーマでないので割愛する。
| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決)  7
 第一期の農薬とは、水銀系殺菌剤、パラチオン、PCP、と本文では省略したが、DDT、BHC、ドリン剤と呼ぱれた一群の塩素系殺虫剤である。これらの薬剤は、それぞれ強い個性を持っていたので一般消費者に強烈な印象を与えた。

 ここで強調したいことは、この強烈な印象は二十年以上も前に消え去った農薬の印象であるから、現在の農薬に重ねることは、大ぎな誤りであるということである。

 日本の稲作は面目を一新した。稲熱病の克服と早期栽培の実現によって、米の反当たり収穫量は、昭和二十五年頃の三二○キロから、昭和四十五年の四一一○キロへと飛躍的に伸びたのである。

 水田の稗や雑草の除去に要する時間と労力は大変なものだった。農作業の六○パーセント以上を占め、その苛酷な労働のために、農民は年をとると腰が曲がるのは当然とされていた。

 日本の稲作の大害草は稗であったが、稲との間の選択の幅が狭くて、除草剤の適用が困難であったが、この頃に、PCPを除草剤として利用する、最初の葉剤防除法が開発された。
| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 01:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 6
 フェニル酢酸水銀は、一姫二太郎サンシーゼリーのコマーシャルで有名だった避妊薬の主薬成分と同じ化合物で、安全牲は確認されていたが、二年後に、日本人の髪の毛の水銀量が外国人より多いことが、農林省の研究によって指摘された。また丁度その頃に、水俣病の原因がメチル水銀中毒であることが判明して、水銀のイメージが変わり、国民に不安がひろまった。そこで、食品に不安感を与えるものは使用すべきでないとの方針で、非水銀系稲熱病殺菌剤の研究が産官協同で展開されて、昭和四十三年頃に全面的に切り替えられて、非水銀牲殺菌剤に移行した。

 うんか類防除には、昭和二十九年から全国的に使用開始された有機燐系殺虫剤のパラチオンが有効使用されたが、翌年には、安全な専用剤として有機燐殺虫剤のマラソンが登場して、「うんか」防除の問題は完全に解決した。マラソンの安全性に特段の問題はないが、同系の薬剤を長年使用すると殺虫剤に対して抵抗性が生ずるので、カーバメイト系殺虫剤が続いて開発された。

 二化めい虫は先に述べたパラチオンが有効であることから、昭和二十九年に国内生産されて、この害虫による深刻な被害問題は完全解決した。しかし、パラチオンは人畜に対しても猛毒であったので、低毒化の研究が開始されて、昭和三十四年にスミチオンが発明されて、昭和三十八年頃から本格的に便用されはじめた。
 昭和四十四年に戦後の米増産に画期的に貢献したパフチオンの生産が中止された。このあとを追うように、第一期の荒武者的農薬は全てその便命を終わり、日本から永久に消え去った。
| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 5
 具体的には、中央に学識経験者を糾合した日本植物防疫協会が組織されて、農林省の全農業試験場と全民間研究機間との連絡調整、及び、全農業試験場の試験成績の総含判定を担当することにして、挙国一致の産学官の協同研究体制を組んだのである。

 この組織は現在も継続されて、活発に運営されているが、効率と信頼性は素晴らしいものがあり、日本が世界に誇るに足る開発研究組織である。

 振り返って、今日までの足跡を概観すると、昭和二十年には、米増産の応急対策は確立した。この年から米不足問題は起こっていない。

 応急対策の目的は米の生産量を消費量の水準まで引き上げることにあったので、この意味では、所期の目的を達成したのであるが、拙速の方針で推進されたので、立ち止まって改良すべき問題点が残ざれていた。問題点と対応策の概要を簡潔に述べる。

 さきに述べた稲熱病に対しては、フェニル酢酸水銀という、水銀系殺菌剤が卓効を示すことが確認されて、昭和二十九年頃に実用化されるようになり、日本の稲作は長年の稲熱病の恐怖から開放された。

| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 4
 稲作栽培の理想は、七月に稲を充分成長させて早く穂を出させて、太陽のエネルギー量が最高になる八月に澱粉の光合成に必要な太陽エネルギーを、完全利用することであった。この様な栽培が出来れば、米の増産が可能になると同時に、収穫が九月から十月初旬になるので、台風や長雨による減収も避けることが出来る。
収穫が一ヶ月遅い為に、収穫直前の稲の台風による倒伏や水没による減収も、可成大きかったのである。

 田植えの時期を早くすることが出来れば、一石三鳥の増産になることは判っていたが、実現することは出来なかった。その理由は、春先に、つまぐろよこばい、ひめとびうんか、などの浮塵子(うんか)害虫が発生して、田植えしたばかりの苗を枯らすことのほかに、うんか類は、ウィルス病を伝染して稲を全滅させるからである。
 このほかに、重要な問題点として、稲の茎中に潜り込んで食害する二化めいちゅうの被害と雑草の稗問題があった。

 この様に、昭和二十年代前半の米の増産に関する技術課題は、全て病害虫の防除に集中していた。
 当時は欧米先進国で、米の病害虫防除に関心を持っているところはなかった。それ故、日本人自らの手で解決する以外に道はなく、農林省は産業界の協力を求めて、戦後の窮乏のなかで、一丸となって取り組む態勢を組織した。

| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 3
 稲作栽培の理想は、七月に稲を充分成長させて早く穂を出させて、太陽のエネルギー量が最高になる八月に澱粉の光合成に必要な太陽エネルギーを、完全利用することであった。この様な栽培が出来れば、米の増産が可能になると同時に、収穫が九月から十月初旬になるので、台風や長雨による減収も避けることが出来る。
収穫が一ヶ月遅い為に、収穫直前の稲の台風による倒伏や水没による減収も、可成大きかったのである。

 田植えの時期を早くすることが出来れば、一石三鳥の増産になることは判っていたが、実現することは出来なかった。その理由は、春先に、つまぐろよこばい、ひめとびうんか、などの浮塵子(うんか)害虫が発生して、田植えしたばかりの苗を枯らすことのほかに、うんか類は、ウィルス病を伝染して稲を全滅させるからである。
 このほかに、重要な問題点として、稲の茎中に潜り込んで食害する二化めいちゅうの被害と雑草の稗問題があった。

 この様に、昭和二十年代前半の米の増産に関する技術課題は、全て病害虫の防除に集中していた。
 当時は欧米先進国で、米の病害虫防除に関心を持っているところはなかった。それ故、日本人自らの手で解決する以外に道はなく、農林省は産業界の協力を求めて、戦後の窮乏のなかで、一丸となって取り組む態勢を組織した。
| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 17:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 2
 稲作栽培の理想は、七月に稲を充分成長させて早く穂を出させて、太陽のエネルギー量が最高になる八月に澱粉の光合成に必要な太陽エネルギーを、完全利用することであった。この様な栽培が出来れば、米の増産が可能になると同時に、収穫が九月から十月初旬になるので、台風や長雨による減収も避けることが出来る。
収穫が一ヶ月遅い為に、収穫直前の稲の台風による倒伏や水没による減収も、可成大きかったのである。

 田植えの時期を早くすることが出来れば、一石三鳥の増産になることは判っていたが、実現することは出来なかった。その理由は、春先に、つまぐろよこばい、ひめとびうんか、などの浮塵子(うんか)害虫が発生して、田植えしたばかりの苗を枯らすことのほかに、うんか類は、ウィルス病を伝染して稲を全滅させるからである。
 このほかに、重要な問題点として、稲の茎中に潜り込んで食害する二化めいちゅうの被害と雑草の稗問題があった。

| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 05:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
農薬の功績(食糧問題の解決) 1
 戦後の日本の最重要課題は食糧の確保、なかでも米の増産であった。改めて言うまでもなく、米の増産は日本の米作が始まって以来、検討されて来た課題であるから、問題点は既に明らかであった。当時の米増産上の問題点についてモデル的に説明する。

 大正時代の初期から、日本でもアンモニヤ系化学肥料が工業生産されるようになって、懸案の肥料不足問題は解決したが、増産に限界があった。
 苗を密植して、成長期に肥料を大量投与すれば増産出来そうであるが、稲の成長期に窒素肥料を大量に与えると、稲熱病に罹りやすくなること、密植するとさらにその危険性が高まることが判明したからである。

 次に考えられた方法は田植えの時期を早めることであった。現在、田植えの時期が早くなっているので、ピンと来ないむきもあると思うが、五十年前の田植えシーズンは梅雨期の六月なかば以降で、十月半ばから十一月にかけて稲刈りをしていた。
| 農薬の功績(食糧問題の解決) | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |