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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

非常識、農薬反対運動の波紋 最終章
 各国代表から、DDT、BHC不足によって再発したマラリヤの防除対策について報告された。資料が貫えず、英語も聞き取りにくくて内容はよく解らなかったが、アフリカ代表は殆ど全員演壇の正面指定席にいる日本人オブザーバーを直視して語気鋭く厳しい状況を報吉していた。最後の報告者はエチオピヤ代表であったが、次第に激昂して、日本はDDT、BHCの製造設備をアフリカに移転せよ、日本人の公害輸出とはどんな意味か、我々は喜んで日本の公害を引き受ける。と叫んで、座長に宥められて降壇する一幕があった。日本がDDTの輸出を禁止した後遺症はその頃まで開発途上国を苦しめていたのである。
 これまで述べたことは氷山の一角にも当たらない。ほかにもあるが同工異曲になるので中止するが、これらの事実が何を物語るかを社会党や大新聞の当時の当事者に少しでも考えて貰えれば幸いである。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 07:49 | comments(0) | - | pookmark |
非常識、農薬反対運動の波紋 7
 日本の人道主義によって世界は伝染病の恐怖に覆われて、おそらく多数の人が犠牲になったと考えるのであるが、その頃の日本のマスコミは取り上げる気持なく、反農薬の情報のみを流していた。
 ケニアのビクトリヤ潮畔のキスムの町はマラリヤの中心地で訪問者は予防薬を飲まされる。WHOが低抗性が出始めたDDT水和剤の後継者にスミチオン水和剤を取り上げて、マラリヤ防除の野外試験を進めていた。昭和五十一年だったと思うが、日本代表が出席しないのでオブザーバーの資格で、現地で開催するFAO、WHOジョイントミーティングに出席するように求められて、海外開発部長と二人で出席したことがある。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 07:59 | comments(0) | - | pookmark |
非常識、農薬反対運動の波紋 6
 日本政府の抜き打ち的DDT輸出禁止のために、DDTが世界的に品不足になると共に値段が上がり、予算不足のために、インドネシアは六割程の防除しかできなかった。そのためにデング熱が発生している。今年はマラリヤの発生が心配であるが、見殺ししなければならない。と言っってはらはらと涙を流されたのである。
 日本政府にはペスティサイド(有害生物殺滅剤)の抽象概念がないので、DDTはまるごと農薬になり、用途の区別なく、農業用も工業用も十把ひとからげに処理されると説明しても、外国人にはなんのことやら解るはずがない。日本政府はどう説明したのだろうか。帰途、セイロンにマラリヤが発生したというニュースの大見出しを見た記憶がある。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 06:58 | comments(0) | - | pookmark |
非常識、農薬反対運動の波紋 5
 日本政府がDDT、BHCの国内使用を全面禁止したすぐ後に、社会党から公害輸出の議会攻撃を受けて、突然、DDT、BHCの国内製造も輸出も禁止したことがある。世界的には農作物にたいする使用禁止が取り沙汰されていた昭和四十年代の後半頃であった。 その翌年に、私はピレスロイド系殺虫剤の説明のためにインドネシアに出張して、厚生省の高官に面会した。元女医の経歴がある厚生省の次官か局長であったが、国民の健康問題に真剣に取り組んでいる気持ちがこちらにもひしひしと伝わってくる感じであった。
 その時のことであるが、開口一番、何故、日本がDDTの使用を農作物ばかりでなく、防疫用も禁止し、更に、製造も輸出も禁止したのかと質問されて返答に窮した。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 07:50 | comments(0) | - | pookmark |
非常識、農薬反対運動の波紋 4
 日本政府がドリン系塩素剤の全面使用禁止の発表をした時から、この薬剤を発明したシェルアメリカ社の研究者二人は、毎朝出勤すると、同僚の前で自分の体にドリン系塩素剤を注射して、ベッドでひと休みしてから仕事にとりかかったそうである。研究者として如何に大きな衝撃を受けたかが想像される。この人類に対する偉大な恩人を葬っていなければ幸いである。
 ドリン系塩素剤は作物の土壌害虫防除にたいする特効薬としての農業分野への用途のほかに、木造建築の白蟻被害予防等、非農業分野にも重要な薬剤であった。アメリカのカリホルニヤ州では家を立てる時は杭を打って白蟻の検査をして、白蟻が検出された場合はドリン剤塗布を法律で義務付けていたそうである。ドリン剤を農作物に使用することを禁止するだけなら理解出来るが、工業用も同時に使用禁止にすることは国際的配盧がなされていないことを物語る。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 07:20 | comments(0) | - | pookmark |
非常識、農薬反対運動の波紋 3
 この話を聞いてから数年後であるが、有機栽培を標榜する日本の有力新聞が、「土は死んだ」と銘打って化学合成肥料反対キャンペーンを執拗に続けるので、ロザムステッド農事試験場の栽培試験データを、日本の学会で発表すべしという声が起こっているという噂を聞いた。学会発表されたかどうか知らないが、その新聞は学会後ぴたりと静かになった。しかし、そのデ一タを取材して読者に報道することはしないようである。
 専門外で知らなかったが、ロザムステッド農事試験場の長期栽培試験は国際的に広く知られているそうである。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 08:28 | comments(0) | - | pookmark |
非常識、農薬反対運動の波紋 2
 この様な変わった試験が百年以上も続けられて来た理由は、化学合成肥料事業の創始者の遣言があったからである。
 彼は農民のために肥料事業を興したが、化学合成肥料が土に悪影響を及ぼせば本意でない。堆肥と化学含成肥料の土に及ぼす影響の比較試験を続けて、間題が生ずれば化学合成肥料事業を直ちに中止して欲しいと一舌い残して、広大な土地と資金を寄付して他界した。
 ロザムステッド農事試験場はこの遣言を守って延々百年以上の試験を続けてきたのであるが、百年を経ていろいろなことが判ってきたそうである。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 11:59 | comments(0) | - | pookmark |
非常識、農薬反対運動の波紋 1
 イギリスにロザムステッド農事試験場という研究所がある。二十年ほど前のことであるが、マイケル・エリオット博士という天才的研究者が、ビレスロイド系殺虫剤の開発研究で彗星のように世界のトップに躍り出て、世界のメーカーを従属させた。我々の研究所も必死になって追撃して数年間追いつ追われつの競争をした時期がある。その頃に研究所を訪問した同僚の話が印象的であったので紹介する。
 この研究所の近くに広大な農場があり、三つの区画に仕切られていろいろな作物が栽培されている。一つの区画は堆肥のみ、一つの区画は化学合成肥料のみ、あとの一つは堆肥と化学合成肥料半々と決めて作物を栽培し、既に百年以上を経過している。
| 非常識、農薬反対運動の波紋 | 06:39 | comments(0) | - | pookmark |