2008.05.24 Saturday
硬骨のマスコミ人 最終章
応接室に帰ると解説はもうよいということになり、個牲の強い作家のような研究者を管理することの難しさの問題に話題が行き、そのまま時間がなくなって辞去された。肝腎の農薬のキャンぺ−ン問題の話は、全く手付かずになり、少し後悔が残った。
それから二カ月ほど経って、文芸春秋誌に「現代の魔女狩り」と題する特集記事が出て、農薬の報道に対する偏向の行き過ぎが論じられていた。
日本にも朝日新聞やNHKの権威に付和雷同せず、新分野を勉強し、現場を検証して反論する硬骨のジャーナリストがいたのである。
どこかに一人くらいは、真実を知ろうとじっと見ているジャーナリストがいるという安心感は、わけのわからぬ世論が渦巻いている時には、大きな心の支えになる。
筆者は、後年田中氏が日本の言論界をリードする日が来ることを信じて期待していたが、一度、新聞紙上で筆禍問題の責任を負って左遷されたことを知って、最早これまでとがっかりした記憶がある。
あれから十数年、引退して住む雪国の田舎で、再び新聞紙上で同氏が文芸春秋社会長として活躍されていることを知り、「天網恢恢疎にして漏らさず」、ほっとした次第である。
それから二カ月ほど経って、文芸春秋誌に「現代の魔女狩り」と題する特集記事が出て、農薬の報道に対する偏向の行き過ぎが論じられていた。
日本にも朝日新聞やNHKの権威に付和雷同せず、新分野を勉強し、現場を検証して反論する硬骨のジャーナリストがいたのである。
どこかに一人くらいは、真実を知ろうとじっと見ているジャーナリストがいるという安心感は、わけのわからぬ世論が渦巻いている時には、大きな心の支えになる。
筆者は、後年田中氏が日本の言論界をリードする日が来ることを信じて期待していたが、一度、新聞紙上で筆禍問題の責任を負って左遷されたことを知って、最早これまでとがっかりした記憶がある。
あれから十数年、引退して住む雪国の田舎で、再び新聞紙上で同氏が文芸春秋社会長として活躍されていることを知り、「天網恢恢疎にして漏らさず」、ほっとした次第である。