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ある伝説的隠居研究者の回想ブログ

日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 最終章
 人間の赤ん坊とは、現代的に表現すれば、全くソフト(プログラム)の入っていない、超大型高性能コンピューターのようなもの。そして、親から魂(心)、社会から智、学校から才の順に、外部の情報が入力されて、人間らしくなる。
 動物の赤ん坊は、すでに、生きるために必要な情報が既に人力されたコンピューターのようなもの。それ故、心も智も才も入る余地がない。これが人間と動物の違いである、ということになる。
 王腸明の「惻億の情」や、カントの「内なる道徳律」は、人間の内部に実在するものではなくて、人間の社会にあったもの、ということになる。
 「子は親の鏡」「みつごの魂百までも」という諺が、古くから日本人に伝えられているが、この諺に秘められた、先人の洞察を改めて噛み締め、同時に、現在の環境を点検すぺきであろう。

| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 06:54 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 15
 これらの解説を、発達心理学的に表現すると、教育には発達段階に応じた臨界年齢があり、無菌状態の三歳迄に魂(感受性の基本となる心)の育成をする。次に智(社会的知能、結晶性知能)の教育をして、社会性をつけた後に、才(流動性知能)の教育すればどこまでも伸びる。ということになる。祖父は、この智と才の臨界年齢を、十歳と結論したのではないかと考えられる。
私は何も知らずに、ただ、物其似をして、ああ良かったと胸をなでおろしているだけである。
 インドの狼少年(アマラとカマラ)をはじめとする三十五例の野生児の教育実験を検討した報告によると、野生児には感覚と感情に異常があり、この異常は、どんな努力をしても、矯正出来ないと結論している。この事実から、「人間らしさは、人間社会の環境で出来るもの」「人間は環境次第で変わり、狼にでも熊にでもなる」ということが判明した。とされているが、日本の子育ての書は室町時代から、同じ仮説をたてて教育法を解説している。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 13:28 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 14
 徳川家康の東照宮御消息の一節を引用する。「幼少の節は何事にも素直なるものに候。また、如何様に窮屈に育て候ても、最初より仕付け次第にて、外より存ずる程には大儀にも之なく候」育ちさえすればよい、仕付けは物の道理が判ってからすればよいと、考えることは誤りで、我侭になってしまった人間は、本心を失っているので、絶対に直らないと述ぺて、植木職人の心構えを説いている。
 員原益軒は「およそ小児を教え育つるに、初めて飯を食い、初めて物を言い、人の面を見て喜び、怒る色を知る程より、常に絶え間なく教ゆれば、ややおとなしくなりて、戒めることなし、
やすし。故に、小児は早く教ゆべし、教え戒めること遅くして、悪しき癖となりては、改めること難し」と述べて、家康よりもっと早い時期の道徳教育を勧めている。
 大原幽学は、才は智を阻害するが、智は才を阻害しない、才を先行させると、後年問題を起こして失敗する。智を先行させて問題が起こる事はなく、才は後年にどんどん伸びるので心配無用といっている。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 12:20 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 13
 祖父は八十歳くらいの時に、私を相手に教育の回顧談をした事がある。その時、ノーベル賞を貰う生徒を育てることが夢だったと述懐した。
 世阿弥は風姿花伝のなかで、「能の稽古は七歳から始めること、十一歳までは「良い」とも「悪い」とも言わずに好きなようにやらせておくこと」、言い過ぎると、子供はやる気をなくして、いやいやするようになる。この様な気持ちをもたせると、能の進歩は早い段階で止まる。と述べている。貝原益軒も、家訓のなかで、同じ事を言っている。
 では、七歳まではどうすれぱ良いか。
 世鏡抄は室町時代の伝書であるが、七歳の学問はじめ迄が大切で、それまでに、基本的な道徳を教え込んでしまうように、三歳までは最も大切で、限りなく愛育すると同時に、必ず、四恩を教え込むこと、愚者は一瞬たりとも近付けぬこと。と述ぺている。基本的な人間教育は早ければ早いほど良い、というのが日本の古典教育書に一貫する思想である。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 16:48 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 12
 昭和三十年から四十年頃のムード的な教育論に反発して、祖父の家庭教育の真似をしただけなのに、どうしてうまく行ったのだろうか。出来すぎの気がしたので、後追いになるが、文献で調べることにした。
 祖父が取った教育法はどうやら新しいものではなく、室町時代から江戸時代まで連綿として受け継がれてきた日本の、「子育て法」を一部手直ししたものらしい。
 室町時代は、家督相続と下克上が同時に進行した時代で、家督相続者に実力が伴わないと家は、忽ち、没落した。例えば、能の名人の家に生まれた男の子は、当代随一の能の名手にならなければならなかった。育成に失敗すれぱお家断絶である。その為、いろいろな教育秘伝書が残されているといわれる。
 祖父は、それを自家用に研究して、小学生や自分の息子や孫に試みたと考えられるのである。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 13:54 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 11
 中学入学を期して、埼玉県の田舎町に呼び寄せて同居生活にはいったが、牛の鳴き声が「モオー」と、聞こえてくる中学校に通い、自然が豊富で勉強どころではなかった。
 転校生に対する「いじめ」の笑例も見間していたので、「のんき」が一番と遊ぱせておいた。
 高校時代はフイル(音楽)クラブに入ってのんびり送り、大学は引退した親父の地元の富山を選んだ。大学生になってもフイルから離れないので、オマジナイの時期を失ったせいかな、と心配しだした専門課程の頃から少しずつ勉強をはじめて、現在、大学院の博士課程にいる。
 比べてみると、子供の頃のおくて程学校に長居している。のんきで気のいい友違を大勢持ち、音楽を本当に鑑賞できるらしい三男が一番うまくやったように見える。
 自分で言うのは気がひけるが二人とも親父よりましなようである。この点は家内も認めて不思議そうにしている。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 06:52 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 10
 学部卒業が近付いたある日、コンピューターで打ち出した学業成績を差し出した。慶応大学は、要求すれぱ学年ごとの席次を発表するらしい。見ると最終学年はトップであったが、全学年を通算した成績はそうではなかった。あとの祭りになったが、これでもよいかというわけである。私は、その時、自分が祖父の呪縛から開放された時のことを思い出していた。量子力学が解らないという妙な理屈で大学院で量子力学を二年間専攻した。
 長男は東京、次男は大阪に就職して、どちらも結婚したので私の役目は終わった。
 三男も同じやり方で通した。しかし、親父の仕事が忙しくなったので、誉めも貶しもせずに勝手に遊ぱせて体だけを鍛えておいて、さてこれからと思った九歳の時に、大阪から東京へ転勤になり、単身赴任の別居生活になったので、大事な十歳は手抜きになった。

| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 13:42 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 9
 しかし、この教育効果は時々片鱗を見せた。歩くことを特技にしていた長男は、北野高校の校内マラソン大会で陸上競技部の長距難選手とゴール迄、胸ひとつのデッドヒートになり相手をあわてさせた。息子はバスケットポール部の選手だったのである。
 座ることも楽しかったらしく東大時代は落研に入っていた。
 次男も歩かせて座らせた。十歳になった時に長男と同じ引導を渡して「兄貴に負けるな」と発破をかけた。小学生のころは長男に比べると出遅れていたが、今はなんともいえない。
 高校時代はラグビー部に入って鍛えた足を使っていたが、慶応大学時代は単身赴任の私と同居して自炊生活するはめになり、教師のアルバイトで稼がせた。同居していたが学校の話をしなかったので、工学部か理学部かも解らなかった。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 02:24 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 8
 母は、長男の私に対して、私の事については何も喜わなかったが、弟妹が五年生くらいになると成績を話題にして、どう思うかと時々感想を求めた。父が再び応召していて心細かったのかもしれない。これがわが家の教育だった。
 私は三人の息子の教育に、祖父の用いた方法を踏襲した。
 集団社宅に住んでいて、周期の友人に囲まれて暮らし、同じ年ごろの子供も大勢いたので、早期教育を目論んでいた末っ子育ちの家内を黙らせる方が大変だった。長男は三歳頃から、連れ出して、徹底的に歩かせた。悪いことをすれぱ罰として一時間から二時間座禅をさせた。十歳の時に大学も仕事も嫁さんも自分で選ベ、これが男の人生の三大事、学校は何処でもよいから、一年浪人して必ず入れ、入ったら一番で卒業せよ、と明治時代の説教をして、あとは、一切、口を出さないことにして知らん顔である。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 07:16 | comments(0) | - | pookmark |
日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 7
 この借金をしたような心の重荷のようなものは、大学に合格する頃まで続いた。
 祖父の、私に対する教育は、ここで終わった。父が戦地から帰って来て、勤務地の関係で、再び別居することになったからである。父は能登半島の町にある旧制中学の教師をしていた。
 今、思い出してみると、私の父も母も学校の成績のことは、一度も口に出して褒めたことも、叱ったことも無かった。父は息子の視野を拡げる事だけを考えていたようで、子供の頃に、一度だけ見知らぬところへ連れていった。しかし二度と繰り返すことはなかった。魚釣り、茸狩り、サーカス、芝居、映画館、テニスの試合、実弾射撃の練習場、金沢のデパートの食堂、この様な場所を最初に知ったのは、すべて父と二人づれの時だった。よほど嬉しかったのか、今でも絵にかけるように憶えている。
| 日本の家庭教育 東大生、京大生の育て方 | 09:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |