2007.07.02 Monday
国際人と生涯学習 最終章
最近、公民館活動の課題として、生涯学習が提唱されているが、具体的に、何をどうしようと考えているのか判らない。当地でも、ポイント不明が問題になり、市民の学習希望課目のアンケート調査が行われたが、その集計結果を見ると、希望課目は、健康、地域の歴史、老後、育児というような、目先の平易で日常的なものか、趣味的なものばかりで、持続的に高度な知識を学習する意向は見当たらない。
公民館で行われている生涯教育活動を見ても、中味は、スポーツ、民謡、踊り、お茶、生け花のようなものばかり、つまり、プレイするものぱかりでスタディするものは無い。この傾向は、当地だけではなくて全国共通の現象と言われている。
生涯学習のテーマが、持続的な努力を要する学問的知識の獲得から離れて、プレイするものばかりになっているのは、幼児期から塾や偏差値やらで苛められたことに対する反動なのだろうか。
カラオケ、パチンコ、漫画専門店、お笑い番組、プロスポーツ、年々豪華になるものは娯楽施設という世相も気掛かりである。
定年退職後、歴史、哲学、宗教、心理学などの講義を聞いたり、本を読んだりしてみると学生時代とは異なる感触があり、理解力も進んでいるような感じで、結構楽しいものである。
日本人は、若い時に、「哲学や文学」を理解出来なかった記憶にこだわって、晩年になっても、食わず嫌いのまま敬遠しているのではないかという気がする。
日本の生涯教育に関する考え方は、あまりにも、覇気に乏しいような気がする。
公民館で行われている生涯教育活動を見ても、中味は、スポーツ、民謡、踊り、お茶、生け花のようなものばかり、つまり、プレイするものぱかりでスタディするものは無い。この傾向は、当地だけではなくて全国共通の現象と言われている。
生涯学習のテーマが、持続的な努力を要する学問的知識の獲得から離れて、プレイするものばかりになっているのは、幼児期から塾や偏差値やらで苛められたことに対する反動なのだろうか。
カラオケ、パチンコ、漫画専門店、お笑い番組、プロスポーツ、年々豪華になるものは娯楽施設という世相も気掛かりである。
定年退職後、歴史、哲学、宗教、心理学などの講義を聞いたり、本を読んだりしてみると学生時代とは異なる感触があり、理解力も進んでいるような感じで、結構楽しいものである。
日本人は、若い時に、「哲学や文学」を理解出来なかった記憶にこだわって、晩年になっても、食わず嫌いのまま敬遠しているのではないかという気がする。
日本の生涯教育に関する考え方は、あまりにも、覇気に乏しいような気がする。